2017/10/19(Thu)

気が緩むとすぐに三日坊主になってしまう。

 

お世話になった大学とおさらばして早1ヶ月が経とうとしているのに、なにかと大学に行っちゃうね。名残惜しいね。
ほんとはもう京都に居なきゃいけない理由はないんだなって実感する日々。
平日週5で9-17時でバイトして、たまに用事のある日はシフト減らして、土日はオフで、用事も友達と遊ぶとか、ご飯食べに行くとか買い物に行くとか、趣味に時間割きたいとか、わりと自由に生きてるなと。

よくよく思い返してみれば「住む」ときには今までその土地じゃないとダメな理由があったから、今の自分の状況が少しふわふわしちゃうな。
生まれてから18歳までは、親の住む土地以外の場所で「住む」ことはほぼほぼ不可能だったし、大学生になってつい最近までは大学に通うことが必須だから京都に「住む」ことになった。
今は大学に通わなくてもいいし、バイトはしているけどいつ辞めてもいいし、なんならあと半年北海道でも沖縄でもどこへ住んだって構わない状況なんだな。
現実的な選択肢としては3つあった。東京へ前入りするか、実家に一旦戻るか、京都に残るか。

とりあえずバイトをして引っ越し資金等を貯めるという大義名分の元、京都で半年過ごすことにしたのだけど、ほんとはそれで貯めれるお金も微々たる差で、家賃と契約更新料と天秤にかけておそらくとんとん。実家に戻れば家賃はかからないけど、3ヶ月じゃバイトもなければ、足もない。田舎なんで車がなけりゃ話にならない。東京前入りだって、3ヶ月後にゃ授業でシフト大幅に変わりますなんてやつを雇ってもらえるんだろうか。とかね。結局バイトでお金を貯めて、なんてのは嘘で、とりあえず京都に少しでも長く居たいというのが本音。

友達だって居るし、思い入れのある場所もある。行きつけの居酒屋があって、仲のいい店員さんのいる古着屋がある。川が流れててデルタがあって、東西と北に向かって少しだけ登りの傾斜になっている。はア〜それが僕の中での京都の全てだし、その京都は数年後には幾分か変わってしまう。この数年、先輩や同期が京都を去って、僕の中の京都が変わったように、数年後には先輩も同期も後輩も知ってる人たちが京都を去るにつれて、京都は変わって行ってしまう。
そんな京都も僕の京都になっていく未来があったかもしれないが、今度は僕が京都を去る番になってしまった。あの先輩やあの同期もこんな気持ちだったのだろうか。
あと京都の人となんなしに出会うことができる秋と冬は一回だけ。もう春と夏は望めない。この時間を見逃したくないし、余すことなく楽しみたい。
だいぶおセンチだ。最近は。

みなさま遊んでください。京都のつはるの余命はあと半年です。

2017/10/12(Wed)

やらないといけないタスクからやっと解放されて、ようやくゆっくりした生活を取り戻せそうな気がして嬉しい。嬉しい。

 

さて、ついに部屋の大掃除に取りかかれる。
部屋が綺麗になったら、自炊生活を再開して、ゆるりとダイエットし直そう。
そして7:30に起きて0:00前後に寝る生活を続けて、寝る前に本読んだり、映画を見る時間を作るんだ....!!

とりあえずこれから速達出して、夜行バス取って、コンタクト買って、他の諸々の買い物も済ませよう。

自己破壊欲求と変わり身の死体

自己破壊欲求と変わり身の死体について、

 

自己破壊欲求がある人はたぶん想像しているよりも多くて自覚してないけど、根底を探ればそれは自己破壊欲求だったのかもしれない、なんてことはザラなのかな、と思った話。

 

例えば悲劇、描かれる人物の悲壮と自分の生い立ちを時には比較して、時には重ねて、「感動」だったり「考えさせられる」だったりする感想に持っていくことが多いと思うけど、たぶんある一定数、救われない人生に自分をifとして重ねて物語が進む中で報われない人物-自分を俯瞰して自己破壊欲求を満たしていくって人はいると思う。

音楽なんかでもそうで、鬱屈な歌詞とか屈折した歌詞とか、報われない詩、救いのない詩の曲はたくさんあって、歌の中で人が傷ついて死んでいく。そのストーリーの中にいつかの自分の姿を投影して、分岐点を想像して、想像の世界の中で自分を曲になぞらえて殺すのだ。そうして自己破壊欲求を満たして生への執着がマウントを取れるように計ってるのだろう。

 

と昔聞いてた音楽を聞いてふと思った。

 

先日の補足

この間書いた「してあげる」が嫌いについての補足。

なぜ僕がそういう考えに至ったかの話。

 

小学生の頃は僕の努力じゃどうしようも変わるものではないところが同級生のからかいの絶好の的となり、少し苦しい時期もあったけど、少年野球をしていたと言うこともあり、それなりに活発な至って普通の少年だった。

中学生になると、その「からかい」も無くなり、むしろ好意的に見られることが増えた。学内では勉強も上位、運動もそつなくこなし、それなりに異性から好意を向けられることもあった。いわばスクールカーストのような構図でも上の方のグループに居たし、先生からもそれなりに信頼されていて、向かうところ敵無しとでも言うのだろうか。「俺にできないことはないのかもしれない」くらいの、まあ完全に世の中ナメくさってる調子に乗った中学生の坊やだった。

それも高校に入って中学よりも少しだけ開けた社会になるとだんだんうまくいかないことの方が増えていった。まあそれまでが少々できすぎていたのだけど。
勉強にだんだんついていけなくなり、中学で部活をやめた体は少しずつ言うことを聞かなくなった。当時付き合っていた女の子から振られたり、クラスメイトのノリについていけなくなって浮いたりと一気にしわ寄せがきた。勝手に自分に期待していた僕はあっさりとその期待を裏切られ、平凡な人間だということをまざまざと突きつけられた。

自業自得というか、身の丈に合わない贅沢をしていたというか、自分の思い描いていた自画像が理想像よりに寄りすぎていて、そのギャップを受け入れられず、また周りの人たちの目も怖くなった。中学生の時にときんときんに研ぎ澄まされた見栄まみれのプライドは簡単にへし折られ、塞ぎがちになった。自分にとっての「期待はずれの自分」を他人にとっての「期待はずれのあいつ」と信じてやまなかったし、メンタルをやられて体調を崩して休みがちになった自分は完全に『「普通」のレールからはずれちゃった人』でしかなかった。

幸い周囲の環境、人間関係は悪い面ばかりじゃなくて、むしろ恵まれていた。でも当時の自分は「期待はずれな自分」に良くしてくれる人の心情を全然想像できなくて、なんのメリットを見出してこうも優しくしてくれるのか、同情か、「かわいそうな人」として接されているのか、こっちは返せるものは何もないのに、とか思っていた。
それが積もり積もった結果、いつも事あるごとに顔を出してくれていたある一人の友人にその内容をそのまま八つ当たりしたことがあった。するとケロッとした顔で「私がそうしたかっただけ」だとむしろ不思議そうな顔をして言った。まったく予想だにしなかった返答に半ばたじろぎ、でもその言葉でつっかえが取れたような気がした。

人間関係を完全な損得勘定でしか考えられなかった自分は今の自分の状態では接する人皆に気を使わせてしまう、足を引っ張ってしまう絶対的に損を振りまく人間と本気で思って居たし、だからこそ嫌な顔をせず(当時は見せずだと思っていた)接してくれていた人へはそれに見合うお返しができないことがまた自分を苦しめるものになってたのだけど、その考えが揺らいだ瞬間だった。

僕が散々「してもらった」ことは彼女が「ただしたいと思った」ことでしかなかった。
僕が「これだけのことをしてくれた」と言うと、彼女は「ただそこにいただけだよ」と言う。
今でもその言葉を思い出しては自分を律することができるし、支えになっている。

「あの時これこれしてくれたお陰でこれだけ救われた。救ってくれてありがとう」と僕は本気で思っているけど、それを伝えてもきっと彼女は「ただそこにいただけだよ」と答えるのだろう。彼女に限らず、僕の親しい友人達はそういう考えの人が多いような気がする。僕がどれだけその後救われたかを全然理解しようとしてくれない。平気な顔して「君が勝手に救われただけだよ。僕は何もしてない」とか言うんだきっと。しかも謙遜とか照れとか、全くそういうのを微塵もこれっぽっちも感じさせないんだ。本気でそう思っているっていうのを疑う余地がないくらいでそう言ってのけるんだよね。本当に感謝しかないし、本当にその生き方考え方が好きだと感じた。

 

 

という経緯があるったのサ。とりあえずあらましを。多分続く。

20017/09/27(Wed)

午前4時、開けっ放しの窓のすぐそこで猫が喧嘩をしているのか穏やかでない鳴き声で目が覚めた。

今の住まいは山の麓を沿うように伸びる大きな道路から小道に少し入って登ったところにある。少し行けば神社の参道にぶつかり、木々が茂っていてのどかだ。ネコも居ればシカも居て、ハクビシンだかタヌキだかアナグマだかわからないがそういう風貌の生き物もいる。少し歩いて川まで出ればヌートリアも居るし、おそらくどこかしらにイノシシも居るのだろう。

ネコの威嚇の鳴き声だけが響く仄暗い朝方、ものの数分間の記憶だけでまたうとうとと眠りについた。

 

次に目が覚めたのは8時前。「おはよー!」という短いメッセージの通知で目が覚めた。朝の長い出勤途中、手持ち無沙汰なのかどうなのかわからないが彼女は決まってメッセージを送ってくる。いつもなら寝ていて気づかないことのほうが多いが今日は少しだけやりとりをして見送った。

お互いどちらかと言えば連絡不精の方で、いついつはとか、毎週◯曜日はとか、決まって連絡を取るのは苦手な方だと思う。たぶん。だからなのか、この決まってないけど決まっている(?)朝のやりとりが絶妙に心地良い。

 

朝からいつもより少し軽い気持ちでいられたのか、溜まってたタスクをサササッとこなすことができた。

用事ついでに、いつかベーグルがマイブームだった頃にマップに印をつけていたベーグル専門店にも行けた。いつかは京都を離れることはわかっていたのに、京都を離れるための手続きを済ませて、やっともうあと半年も無いことに気がつくと、もう祇園祭も御手洗祭もフラッとした気持ちで行けないんだとむむむと思い悩んでしまう。少なくとも残りの半年は(食)生活を充実して生きたいなと改めて。今日のベーグルから始まる悔いなき京都の食生活。

 

いつかは、と思っていたところ全部に顔出すつもりで。いつか旅行なりなんなりで京都にやってきた時に少しでもこの時の名残を感じられるように。

共感と感情形成の原点と過程の話

もうかれこれ6,7年くらい好きな漫画家が居て、志村貴子先生なんですが、高校生の多感な時期に『放浪息子』と『青い花』に出会った。今振り返れば当時読んで惹かれたから今こういう考え方をしているのかもしれないけれど、志村先生の描くキャラクターの感情の生まれ方が僕の理想としているところにふと気がついた。

 

何度も下書きに書いてはまとまらず消していたテーマとして、『「してあげる」の思考が嫌い』というのがある。

文字通り、「してあげる」の感覚が理解できなくて、自分の「したい」欲求を、「誰かのため」なんていう大義名分を付け加えて、そして「誰かのため」になると信じてやまなようなそのすり替えの思考が苦手なのです。大抵ひねくれ者だと切って捨てられますが、そういう考え方なのです。僕は。

自分と相手がいるその場において、生まれる感情はお互いの主観そのものでしかないのに、ある行動の結果から、相手が生み出す感情を一つに決めつけてしまうのはあまり危ういと思う。もちろん推測はできるとは思う。でもそれはやっぱり推測の域を脱すことはなくて。

でも何より僕が気持ち悪いと思うのは、そんなことよりも、自分の「したい」の感情を、相手のことを思って、それが本意であるかのように振る舞うその精神の方です。

例えば良く言う「困っている人を見かけたら助けてあげましょう」というフレーズだけど、僕が思うのはこの場合、困っている人を見るということがそもそも嫌だというのが原点にあって、その困っている姿を見たくない、というようなマインドに働くと思うんですよ。誰しもとは言わないけれど、少なくとも僕は困っている人なんて見たくないんです。別に綺麗事を言っているのではなくて、真逆のことだと思うんですけど。

人間ってどのタイミングでなのかわからないですけど、共感性やら自己投影やら察する能力やらを身につけてきたわけじゃないですか。それをそのまま当てはめると、困っている人を見るっていうことは自分にとっても困ったこなんですよ。そしてその困ったを解決するためには眼前の人の抱える問題が解決する必要があって、そのために行動を起こす。

この構造が僕の思う人の感情の生まれ方の原点と行動を起こすまでの過程の基本だと思っていて、いわば、全ての感情が元を辿れば自らの欲求を自覚したとか、欲求が満たされたとか、満たされなかったとか、そういう自分本位のところを出発していると思っています。

その原点と過程をすっとばすということは、公式は知っているけど、その公式の由来は知らないみたいな、いや、現代なんてそんなことばかりなのだけど、僕は少なくとも自分の考えとか行動とか感情とか、自分の主観によるところはせめて責任を持ちたいと考えているし、それを良しとしている。

欲求はときたま良くないことと教えられる。自分本意の考え方ばかりをらしていてはダメだと。確かに言わんとすることはわからんでもないし、そもそも、自分の考え方だと「利他的」という言葉がもうフィクションの言葉になってしまうわけで、つまり、自分の考え方が、言葉の成り立ちや考え方からズレているわけです。不本意だけど。

でも少なくとも考える暇がないくらいの咄嗟の出来事を除いて全ての行動の原点は「相手が喜んでくれるから」とか相手本意ではなくて「相手の喜ぶ姿(の方)がみたいから」っていう自分本位のものだと思ってますし、その二つの差は大きいと考えています。

「優しい」とかはあくまで相手側から評価されて初めて生まれる言葉で「人に優しく接する」とかは自分がどう頑張ってもできる保証はどこにもないわけで。

のちの行動に大差なかったとしても、僕は自分の欲求を自覚した上で動く人が好きです。まあそれもどこでそれを判断しているのかとか考え始めるとそれこそ100%はあり得ないわけなんですけどね。

ただでさえ本心なんて分かりづらい構造をしていて、自分の本心さえも分かりづらいのに、その自分の本心をわかろうとも努めない、考えることを放棄するような人はちょっとやっぱり苦手なんですよ。

まあほんとに相手本意で物を考えるニュー人類がいるかもしれないし、そのニュー人類が実は多くを占めている可能性だってあるわけなんですけども。少なくとも自分はそういうふうに考えているっていうことで。

 

もちろん他人にこの考え方を強要するつもりはないし、賛同できないからといって避難するわけでも有りません。好きだの嫌いだの好き勝手言っておいてなんですが。半分は自分の考えを自分なりにまとめたかったというのと(散々散らかしておりますが)もう半分は自分はこういう考え方で生きていくという今現在の自分の決意表明です。

もっといろいろなことを知って成熟していくうちに振り返って「昔は青かったな」とか「ひねくれて育ってたな」とか「こじらせてるな....」とかなる可能性もありますけど、今現在はそう考えたい。僕は。僕が。

 

一つ主張したいことを挙げるなら「自分本位ってそんなに悪いことなのか。自分本位では誰かのためになることはないのか」ということです。自分本位の行動でも誰かのためになったならないはその「誰か」が判断することです。騙すとか、陥れるとかでなければ、そこには他の誰の思惑も反映されないはずなんです。

 

ひたすら同じことを書き連ねている気がするのでこの辺で終えて、本題(?)に入ろうと思います。

 

志村先生の作品に出てくるキャラクターって良くも悪くも自分の欲求に正直というか、自分本位で考える心情描写をされていることに気がついて、どこを切り取っても、「誰々のために◯◯をする」という描写がないんですよね。僕の体感でですが。

誰かを好きになるのも身を引くのも拒絶するのもなにするにも、それぞれの欲求の部分から丁寧に描かれていて少なくともこんなに自分の感情にピタッとおさまって揺さぶられる作品にまだ出会っていない。

 

志村先生がそういうことを考えているかとか、反映させているかとかはわからないけれど、僕はそんなわけで、志村先生の作品が好きなんだとさっき気づいたという話。

 

稚拙な文章でごめんなさい。ひとりごとなので許してください。

 

2017/09/21(Thu)

4年間の学部生時代と半年間の研究生期間お世話になった大学とおさらばしてきた。

4年半そこに留まるために出した用紙は山のようにあるっていうのに、一枚のA4用紙と封筒一つでさよならなんだなとそれぐらいが確かに楽と言えば楽だけど。まあこうして僕の京都の(大)学生という肩書きがなくなったわけだ。

引っ越し資金に今まで浪費した分を稼いで少しくらい貯金を残さないといけないな。

立派なフリーターを半年間の間勤め上げねば。

 

京都のフリーター期間に突入。→22日