2018/05/07(mon)

ギア East Versionを観劇してきたヨ

 

ギアといえば京都。

5年も住んでいればあの看板を見ないわけないし、三条通りのあのビルの前を通らないなんてことはないわけで、

「いつか行こう  いつか見に行けたら」と思っているうちに、いつの間にやら僕の方が引っ越してしまった。

「ギア」については「あのビルにある専用の劇場でやってる演劇」くらいの認識のまま京都を離れ、

その年に関東でEast versionとしてでんぱ組.inc藤咲彩音がドール役で出演するとの情報を聞き、これは行くしかなかろう、と。

 

映画にしろ演劇にしろ、本当に楽しみな公演は自分がまっさらな状態で臨みたい気質があるらしく、今回も何やらドール役1人とパフォーマーが4人と言葉を使わない"ノンバーバルパフォーマンス"だということくらいの前情報で鑑賞してきました。

あと楽しいし感動するよ!ってくらい。

(なんで京都に5年住んでこれしか知らないのか)

 

極力、感想とかも読まないようにして、いざ観劇。

ネタバレなしで一言で感想を言うと、誇張なしに笑いあり涙ありでした。

ほんとうに「うおお」だの「あああ」だのが口からこぼれてしまうくらいには楽しかった。

京都に戻った際には、是非ギア(無印)も見てみたいと思うのです....

 

そして、個人的に感想を起こしておきたいので

 

⚠️以外ネタバレ含む感想⚠️

 

個人的に重大だと思うこともネタバレで書いちゃうかもしれないから、見る可能性が少しでもある人は絶対に公演を観る前に読まないでネ。

 

 

 

 

 

 

 

まず最初に言いたい!

彩音さんが可愛かった!!!!!!

 

 

よし。

 

 

さて、4人のパフォーマーと上では書いたけど、「ドール」に合わせるなら「ロボロイド」と書かねばですね。

 

人が去ってしまった元おもちゃ工場での「ロボロイド」達と「ドール」のお話。

 

このロボロイド達がなかなかにくせもの揃いで、ヘマやらかしたり、その責任押し付けあったり、人間臭さが行動に滲み出ていて、憎めない愛おしいキャラクターでした。

ドールと出会ったのも、ロボロイドのどんちゃん騒ぎがきっかけ。

どんちゃん騒ぎで天井が落ちてきて、その拍子にパッケージごと一体の人形が落ちてくる。これがドールとロボロイドとの出会い。

 

人形がドール役の演者と切り替わるシーンは予期してなかったので素で驚いた。

 

不思議な力で1人でに動けるようになったドール。

まるでちびっ子のごとく好奇心旺盛で、いろんなことに興味を持ってお騒がせ案件を乱立させていく中で少しずつ体を動かすのにも慣れていく。

 

そしてロボロイドとドールが握手した拍子に、ドールから不思議な力が流れ込んで、一定時間人間のように滑らかな動きができるようになり→パフォーマンスという流れ。

ちなみにパフォーマンスの中身は

赤…パントマイム

黄…ブレイクダンス

緑…ジャグリング

青…マジック

でした。

これまたパフォーマンスが凄くて、個々のパフォーマンスだけでも凄く楽しめるのに、それがまたストーリーに繋がっていくからすごい。なんだろう。ミュージカルとかに近いのかな?それぞれのシーンでパフォーマンスにストーリーを持たせて展開していく。

 

「握手すると楽しいことが起こる」と学習したドール。それをからかうように握手を寸前で避けていくロボロイド、だんだんと楽しくなっていくもんだからどんどんどんどん事が大きくなってどんちゃん騒ぎバージョン2。

あれよあれよと工場の暴走騒ぎにまで発展して暗転。(ここがとても楽しかったのだ。是非また見たい)

 

ドールが目を覚ますと(この起き上がるシーンではもはや仕草が人間と同じように振る舞えるようになっている)工場は電気が落ちていて、ロボロイド達も最後のイタズラ心で手を出したまま止まって動かない。

ロボロイドが動力を失ってもう動かないと悟って、涙が流れたのに気づいて初めてドールは「悲しい」という感情を自覚する。言葉にならない声で、捻り出すように悲痛に叫ぶドール。 

 

個人的にはここのシーンが一番だった。

「ノンバーバルパフォーマンス、言葉を使わないから年齢国籍関係なく誰でも楽しめるよ」

って言ってたせいで、(いい意味で)騙されてしまった。

いつからか声を発しない演目だと思い込んでしまっていた。

言葉を使わないだけで、声は使っていいもんね。

それまでBGMや効果音で場の起伏なんかは表現されていたんだけど、それぞれの感情とかはやっぱり表情や動き、目で見て感じ取っていたわけで、このシーンも当たり前のように「悲しみ」を仕草、表情で読み取って、耳がお留守になっていたところで、ドールが泣き叫ぶ声がまっすぐ耳に刺さってきて、こんなのお手上げです。鳥肌です。

油断していたところで刺激を突きつけられると瞬間最大風速がすごい。ホラーなんかで良く使われる手法に似てるかな。

なんかそれっぽいことつらつら書いちゃったけど、ただただ単純にこの泣きの演技が刺さる。

ロボロイド達ともう遊べないこと、それが自分のせいかもしらないこと、いろんなことが怖くて悲しくて、その純粋な悲しみが真っ直ぐにこっちに届いてきたとき、気づいたら涙が止まらなかったし、思い出して今も泣きながらタイプしている。

 

そしてその後また暗転すると、ドールは元の動かない人形に戻っていて、動力が戻ったロボロイド達が何かを思い出したかのように、人形に向かって手を差し出し、終幕。

この行き違いももどかしくて切なかった。

 

このラストシーンのそれぞれの暗転も「どれくらい時間が経ったのだろう」とか考えてしまった。

ドールが目を覚ましたのが夜で、電源供給が復旧したのが次の日の朝かもしれないし、もっと時間が経っているのかもしれない。数十日あるいは数ヶ月、数年.......

そもそも人が去ってからどれくらいの期間、ロボロイド達が働き続けていたのかも分からない。

これはもう作品の中身とはあまり関係ないけど、そんなことを考えているとドールもロボロイド達もより愛おしくなった。

 

 

90分っていう決して長くない時間の中でパフォーマンスも盛り込んで、ってなると、全体を通してストーリーが特別難解で複雑で奇想天外ってわけではない。小さい子でもわかるようなごくごく簡単な絵本のようなファンタジーなストーリー。

なんだけど、本当に演出演技が素敵だった。

 

繰り返すようだけど、好奇心だけで動いていたドールが、ロボロイドと過ごすにつれて、遊びの中で「楽しい」とか「すごい」とか「ないわー」とか色々な感情を表現できるようになっていく過程が凄く微笑ましくて、一緒に遊んでるシーンなんかはこっちまで楽しくなってくる。

その楽しさが伝わってきたからこそ、突然突きつけられた終わりの「悲しさ」が切ない。

そして観てる側をそこに一緒に乗せてくれる。

 

「子供でも大人でも楽しめる」って謳い文句良くあるけど、大抵「子供を連れてきた親に当たる大人でも楽しめる」か「子供が楽しめる要素・シーン + 大人が楽しめる要素・シーンで構成されてる」って例が多いような気がして。受け取り方の差はあれど、ここまで「子供世代から大人世代まで幅広く楽しめる」を地で行ってる演目もなかなかないんじゃないかと思う。そらロングランも決まるわ....。

すごく楽しかった...。絶対にまた見るんだ....。

 

 

君の名前で僕を呼んで」を見てきたので、いつかそのこともかけたらいいな。