8年前くらいに処方され、残っていた精神刺激薬を処分した話。

8年前くらいに処方され、残っていた精神刺激薬を処分した話。

 

高校生当時、自律神経を崩して体が動かず学校に通えなくなっていたことがあった。
医者を変え薬を変え、今思えば胡散臭く感じるような民間療法に頼ったりもしたし、精神論根性論で殴られて悪化したりもした。

そんな感じでああでもないこうでもないと言われ続けたのちに、最後に通ったところが一番自分と相性がよかった。
処方される薬の成分は均一だけど、人それぞれ病状症状は均一ではない。薬との相性もあれば、担当医との相性もあるわけで。相性の良い病院が割と近くにあったのは運が良かった。

そんな感じで学校に通えなかったのがだんだんと2限3限からは出れるようになったり、人と話せるようになったりと気持ち的にも楽になった。保健室にはだいぶお世話になったけど。

とは言っても、薬も何回か変わったし、薬の作用がうまくはまったかと思えば思い副作用に悩まされたこともあった。
思い出深いのは、食欲不振と動悸と鼻血。
「ちょっと食欲落ちるかもね〜」と言われた言葉をそのまま真に受けて、その薬が効いているお昼の間、まったく喉を通らずにめちゃくちゃ痩せた。
授業中座っているだけなのに動悸がして測ったら120近く出るようなことが頻繁にあって、流石に集中もなにもできず保健室で休んだりした。
動悸に合わせて鼻血が出ることも多くて、あの頃は鼻血が出た瞬間、まだ血が見える前に(あ、鼻血だ)と分かるようになって、預言者みたいになっていた。懐かしい。

こんな感じの副作用を感じながらも、薬のおかげで並の高校生の生活に近づけていたことは事実......みたいな生活が続いていった。

「薬のおかげで」という言葉はずっと実感していた言葉だけど、当時と今とでは毛色が違う。違った。と思う。
当時「薬のおかげで」が限りなく「薬があれば......」に近い色を持っていたと思う。

依存に近い状態になりながらも、なんやかんやで薬の量は減っていったし、高校を卒業して大学生になって、生活の環境が変わると、ほとんど飲まずにやっていけるようになった。
それで定期検診ではないけど、帰省してとうとう「完治です」とお言葉をもらってお薬生活ともおさらば!!と一応なった。

 

まあしかし、「薬があれば」マインドになっていた自分、辛かった2年間弱を思い返して(またあの症状が出たらどうしよう.......もしものときの為にとっておこう)とか思ってしまい、なかなか処分できなかった。

結果的には、それから1錠も飲むことはなかった。なくて良かった。
(当たり前のことではありますが、医者に指示されてない期間に過去処方された薬を飲むような真似は絶対にダメ)

それから存在を忘れたり、たまに思い出したりを8年繰り返して、ふともうどうでもいいかな、と思えたのがここ最近のこと。

今遠いところから振り返れば良い思い出にはなるけど、絶対に戻りたくはないし、トラウマになりえた生活を打開するきっかけとなった小さい錠剤。
まあこの錠剤のせいで保険には制限がついたり入れなかったり、いろいろと困らされたのですが.......

そんなお守りと依存対象と必要のないゴミを足して3で割ったものを捨てるのに8年。
もう完治と言ってもらえて長いんだけど、やっと完治したのかな、という気持ちです。

 

あの薬を残していることも誰にも言ってなかったし、今更誰かに聞いてもらいたいような話でもないんだけど、どこかに吐き出したかったお話でした。