自己破壊欲求と変わり身の死体

自己破壊欲求と変わり身の死体について、

 

自己破壊欲求がある人はたぶん想像しているよりも多くて自覚してないけど、根底を探ればそれは自己破壊欲求だったのかもしれない、なんてことはザラなのかな、と思った話。

 

例えば悲劇、描かれる人物の悲壮と自分の生い立ちを時には比較して、時には重ねて、「感動」だったり「考えさせられる」だったりする感想に持っていくことが多いと思うけど、たぶんある一定数、救われない人生に自分をifとして重ねて物語が進む中で報われない人物-自分を俯瞰して自己破壊欲求を満たしていくって人はいると思う。

音楽なんかでもそうで、鬱屈な歌詞とか屈折した歌詞とか、報われない詩、救いのない詩の曲はたくさんあって、歌の中で人が傷ついて死んでいく。そのストーリーの中にいつかの自分の姿を投影して、分岐点を想像して、想像の世界の中で自分を曲になぞらえて殺すのだ。そうして自己破壊欲求を満たして生への執着がマウントを取れるように計ってるのだろう。

 

と昔聞いてた音楽を聞いてふと思った。