下書きの墓標 2番地

溜まったので。

 

こいいじ最新刊まめちゃんとソータ君の行き違いもどかしいし、河田さんまじでちょっと嫌いやし、ゆめ姉ちゃんグッジョブしかしねえな

好きな漫画の当時の最新刊の感想。今はまた新しい最新刊が出てます。

 

ハム太郎とリボンちゃん、こんな大々的に大きなハートに囲まれて「ひみつ」の想いの矢印が飛び交ってるのにハム太郎から一本の矢印も出てないのは......

ハム太郎サイコパスみを感じた時のやつだ

 

経験の冷蔵庫

マジで何も思い出せない。何を冷やしてたんだろう......

 

初めての夏!

これらは

急遽行くことにして良かった!

ぜんぶ

楽しかった......。散々迷って、とりあえず横浜線に乗り込んでみた朝の僕を褒めながら帰宅する。

同じ日の

初めての夏・初めての横丁、とても楽しんでる・楽しんだ!!よ!!!

書きかけの下書きたち

 

鳥居みゆきのダジャレセンスが最高に好き

それはそう。

 

ふと思ったんですけど、どこでもドアって扉に対して垂直方向の足の長さ短そうやし押し引き間違えたらすぐ倒れそう。

モーメントがうんたらみたいなやつ。何が未来的な力で地面に張り付いてるのかしら。

 

昨日気づいたことがあって、ファール取られてPKってなったときプレーが途切れるじゃないですか。このときサッカーわかる人は次のプレーが始まるまで固唾を飲んで見守ると思うんですけど、サッカー分かんない身としては「あっ途切れたんだ」と緩みがちなんですよね。ファールだけどファールじゃない。

野球とサッカーのファール違い。先輩とWCの試合を見ながら

 

SNSで日々各地で起こってるイベントの告知の画像を目にするけど、場所の情報が施設名だけだと距離的にいけるのかいけないのかも分からないから都道府県からの住所も入れて欲しいなと最近思う。

面白そうなイベント告知ツイート見て、住所に市町村からしか書いてないせいで、検索かけて遠方で悲しくなること多々。

 

高校生の頃、留年だったり卒業だったり間一髪で切り抜けたけど、こんな強いエピソードなかったな。時間割変わって移動教室になったのを知らせるために先生が校門で待っててくれたことはあったけど

留年かかった生徒が遅刻してきたけど、遅延証明書掲げてスタンディングオベーション、みたいなツイートを受けて。息をするかのように自分語り。

 

区内⇔自宅間の往復で厚くなくて軽快な本なら往復で読めちゃうことに気づいて、本をカバンに忍ばせる習慣がついたのは良いんだけど。入れ忘れたときになんかそわそわしてしまって本屋に駆け込むようになってしまった

人生24年目にして活字を楽しめるようになりました。オススメの本とか教えてね。

 

Twitterで得られる情報で信憑性のあるものなんてメンバーによる「お知らせ」ツイートくらいでしょうに

SNSで正しい情報得ましょう」とかいう文言を見て鼻で笑っちゃった。あるだろうけど、見極めが難しいよ。

 

だめだ。最近お昼ご飯食べる難易度が高すぎる。朝に起きてるのに気づいたらお昼時終わっちゃう

こっちに越してきてから、食生活が酷い。

 

もっと純粋に夏が似合う男の人になりたいわ

夏生まれだけど運動部に入ってたけど、意外だね、としか言われたことないわ。

 

多くの人が関心を寄せるか否かで何を取り上げるか決めるニュースって、危うい気がするのだけど

影に隠れた、埋もれた功績、沢山あると思います。認知度、名声が全てじゃないけど、機会が平等でないのはなんだか。

 

金曜のほにゃほにゃフライデーに続いて月曜もほにゃほにゃマンデーとか出てきて、もういっそのこと

うまいこと言えなくて断念。毎日がエブリデイだね。

 

やっぱり気配りとか気遣いとか自己犠牲とかの「相手のことを考えて」みたいながよくわからない。全部自分がしたいからしているのではないの。

一生ずっと思ってると思う。し、少なくとも、自分の行動の根源は全部自分の欲求だと思ってる。

 

何でもかんでもまっさらな状態で受け取りたいから極力予告編しか見ないで臨みたい。思ってたのと違うとか、そういうのさえも全部それを初めて見たときに経験したい。でもそれだと時間が圧倒的に足りない。何かを選択して、何かを切り捨てて、知らないままで生きてその後死ぬんだわ。

いつもネタバレブログで申し訳ない。けどこれは本心だから自分は絶対好きなことの評論家にはなれないのだと思う。自分の手の届く範囲でしか動かない動けないから愛おしいものは全部愛していく所存。

 

絶対羨ましくて悶絶するからと避けていた森見登美彦、手を出した瞬間気づいたら京都にいる

この夏帰省して四畳半神話大系読んでしまったせいで、秒で京都に戻ったときの。

 

ガールズバンド組んでギタボで愛を歌いたい人生だった

普段聞いている音楽、圧倒的に女性ボーカルのほうが多い。今聞いているのはチャットモンチー

 

何度もここで満月を見てきたはずなのに、なんだか特別な意味があるみたいに思っちゃうなあ。

京都から東京へ戻る日、図ったように満月で綺麗だった。

 

今日は映画館はしごするぞーって意気込んでいたら台風の影響すごくて結局家にこもりっぱなしだった

北部九州出身の人間は大小さまざまな台風を経験しすぎて、台風に関する危機管理が甘いため、時折来る強い台風に驚く。

 

今日は『若い女』明日は『カメラを止めるな!』明後日は『きみの鳥はうたえる』明々後日『カランコエの花』を、見る。予定。予定なので

若い女』はおもんなかったし、『きみの鳥はうたえる』はまだ消化できてない。『カランコエの花』は先程まとめた通り。『カメラを止めるな!』はまだ見れてない。感想もな何もかも避けている。そろそろ難しい。見なきゃ。

 

大仏建立の話に乗ると、例えば非常用電源とか積んでLEDとかで辺りを照らせる大仏を建てる話が出るとするじゃないですか。そしたらそこにも「不謹慎ダー」とか「大仏さまをなんだと思ってるんダー」とか出てくるんですかね?

昔では考えられなかったテクノロジーに対して、思想に合わせて思想も柔軟に変わっていけばいいと思う。けど、この間飲み屋でおじさんと話した中で出てきた「今あるのが当たり前だと感じている電気も無くなるリスクがゼロなわけではない」という話が印象的だった。物質性と精神性。

 

八王子にて、廃墟に「東京」と落書きされてて、切なくなった

誇らしげな字体がまた哀愁を帯びていた。

 

街で髪の毛ツンツンした人とすれ違って(サイヤ人みたいだなあ....)なんて思ったりした。数時間後またその人とすれ違ったけど、どう見てもひっくり返ったてんとう虫だった。重力ってすげえのな。

こういうのはその時の勢いでツイートボタン押さないと。時間経っちゃったらもう無理だもんな。この記事はこの下書きのためにあると言ってもいいのかもしれない。

 

憧れと嫌悪感は意外と同居できる。好きと嫌いも同居できる。矛盾だけど、矛盾なんて人の営みのなかで一番楽しいものじゃないだろうか

自分の発言にするかも迷うほどのモヤモヤをいつか一つの文章で書ける日が来たらいいと思う。

 

相互承認を嘲笑ってる人って結局相互承認のない人なんだよな

以下同文。

 

投資の勉強会なる搾取が隣で行われてるのだけど、すごい話術だな。

ツイッターで良くフォローしてくる、投資で勝てる方法をお教えします!みたいなのの中の人なのかな?と。ほんとうに居るんだ、となりました。「負けることもあるけど、勝つ確率の方が高いし、負けて辞めたらもったいない。勝つまで投資しよう」とかなんとか、自分はその後席を離れてしまったけど、やっぱり講師代とか払ってるのかな、あの子らは。

 

情報過多になってくると、視界がスローになって、脳みそフルスピードでまわしてどうでもいいこと考え始めるアレなんなんだろ

表情に気が回らなくて、たいてい真顔虚無顔になってる。

 

たぶん人生で初めてストロングゼロ飲んだけど、アルコールの暴力感がすごい。ついでにアルコール臭もすごい。保健室で怪我の手当てしてもらいながら酒飲んでる気分になる。

それはまた背徳感とかのほうが目立つな、と思ってツイートしなかったやつ。

 

なんとなくだけど、それこそ地元の「椎名」的な人は都市と地方(地元)についてどう思ってるんだろうか。きっと自分じゃ思いもよらない答えが返ってくるんだろうな。羨ましいな妬ましいな愚かしいな。

「ここは退屈迎えに来て」を読んで。

 

自己肯定感低いって言ってる人で、自分はこんなもんだからって言ってる人、それって自己肯定してるんじゃないかな、と思ったり

拗らせ芸。

 

 

以上。

墓標も立ててもらえない、供養してもらえないツイートも沢山あるけど、これはもうどうしようもないのでひっそりと焚き上げます。