2017/09/19(Tue)朝

昨晩、遅くに帰ると寝ぼけ眼の愛犬がすり寄ってきて、ここぞと言わんばかりに顔中を舐めさせてくれとせがんできた。
犬が顔を舐めてくるというのは、狼のなごりと考えられていて、愛情表現なのだそうだ。(たぶん諸説あるし、真偽は定かではない)
ある記事に、その筆者は何気なく書いたのだろうが、写真に映る犬に吹き出しをつけて「ずっと一緒に居てね」とあるのを見た。
インターネットの出展のわからない情報について、自分たちの世代は口うるさく指導されてきている。
「ずっと一緒に居てね」なんて言葉、まずもって疑ってかかるべき文言ではあるが、今回ばかしはそのまま受け取ることにした。

気づけばもう6歳、離れて暮らすようになって4年と半年。
僕がこの実家で生活する時がもしきても、きっとその頃にはこの子はもうどこか遠いところに行ってしまっているだろう。
ヨボヨボになってもふらふらになっても、僕が帰ってきた時はたくさん遊ぼう。
顔だっていくら舐めてくれても構わないからさ。

2017/09/10(Sun)

地元愛について。

 

「故郷」言うといろいろな「故郷」がある。

僕にも「生まれの故郷」「育ちの故郷」「学びの故郷」「心の故郷」があって、0〜6歳までを「生まれの故郷」、6〜18歳までを「育ちの故郷」、18〜現在までを「学びの故郷」で過ごしてきた。

「心の故郷」は僕の出生成長には何も縁はないのだけど、とても好きな土地で、ことあるごとに一人で赴いてはいろいろなことを考えて、それがなんかしっくりときてるもんで勝手にそうやって決めてしまった。

あの土地は何故か僕の心情と似ている(と勝手に思っている)。

 

「故郷」と似た意味で「地元」がある。

地方出身者だけだろうか。僕だけだろうか。「故郷」は温かい響きの反面、システムで割り振られたような印象を受ける。「地元」のほうがなぜかぶっきらぼうのだけど愛着を感じる。

例えば僕にとって先に書いたように「故郷」はいくつかあるけれど、「地元」は唯一無二で6〜18歳までを過ごした「育ちの故郷」だけだろう。

長い年数を過ごしたからなのか、一番多感な時期を過ごしたからなのか、小中高過ごしたならなのか、なぜかはわからないけど、同じように考えている人も少なくはないと思う。

 

前置きが随分と長くなってしまったが、僕は高校を卒業後、「地元」を離れて「学びの故郷」京都にある大学に進学した。

小中高生のときの可動域はもっぱら家と学校を両端にしたラグビーボールくらいの範囲で手段は自転車が主だった。

大学に入り、免許を取り、成人した。お酒とタバコを摂るようなると、帰省した時の地元の見え方が変わった。

通学路に何十年もやっている喫茶店があることを初めて知った。駅前に居酒屋がたくさんあることを初めて知った。遠くにあると思っていた場所が案外すぐ行ける距離にあった。昼しか知らなかった場所の夜を知った。

挙げだすとキリがないが、知らない地元を知る機会が増えた。

 

少し話が脱線してしまうけど、高校の同級生で僕と似たような専攻に進んだ人は、おそらく1%くらいだと認識している。

人数にして僕含め3人。今日はそのうちの1人と会って来た。

厳密に言うと同じことを学んでいるわけではないけど、同じような思考のプロセスを学んだ数少ない友人だ。

彼もまた人間の個々の視点、知覚、心情の機微への興味が自身を動かし模索しているようだった。

答えの見えない押し問答、知ったからどうなるともない持論・感情生成のプロセスとか、どうにもならない話で殴り合うのがとても面白い夜だった。

彼に道案内をしてもらって山手のダムへと行ってきた。これからの僕らには欠かせない事柄を話してきた。時間の無限さと有限さを感じた日でした。

 

 

 

2017/09/05(Tue)

3時過ぎに帰ってきたのもあり、父が10時前に迎えにきてくれたのにも気づかず二度寝したところで今日が始まった。

帰省したときには必ず行くお好み焼き屋さんでお腹いっぱい食べた後、祖母に会いに。

いつの間にかまた一回り小さくなったような祖母を見て、この間見た映画「ゆれる」のワンシーンを思い出した。

僕のこの手と目と足は、まだ見ぬ誰かに何かを訴えかけるためにある物だと思っていたけど、それ以前に近い場所を今一度見つめ直さなければいけないことにか気がついた。

 僕に限ったことじゃないけど、人はそれぞれ何かしらできることを持っている。それを生かして仕事をしている人も少なくない。

僕はたまたまカメラを構えてシャッターボタンを押せる手を持っている。僕はたまたまファインダーを覗いて写真のバランスを見定める目を持っている。被写体との距離をかせぐ足を持っている。

スキルは置いといて、僕は好き好んでそれができる。

 

少し話は変わるけど、いわゆる映像は元来、写真の連続によって成っている。秒間30コマくらいで、人はその一瞬一瞬の静止画をの連続を一連の動作として見ることができるという。

微分積分の関係と似てるなとある日思って、そう考えると、写真は映像を時間の連続という概念で微分した一次元下位の存在だと言い換えることもできるな、と。

でも、もし、技術が今と比べ物にならないくらい発展して、ありとあらゆる媒体で映像が再生可能な社会になったとしても、写真の表現が廃れる事はないだろうと漠然とそう思う。

例えば、雑誌がまだ紙媒体のような形で、その紙面場でも映像を用いることができたとしても、やはり僕達は写真を使うのではないかな。

そこには、写真にはあって映像にはない良さが存在して、その作用の働くところなのだろう。

 

 きっとそこを突き詰めることができれば、僕は学生の身分を終えることができるのだなと。

タイトル

今年の春先あたりから、2年ぶりとか、3年ぶりとか、10年ぶりとかとにかく「久しぶり。元気にしてる?」の挨拶から始まる人と会う機会が多い。

長崎のあるバンドが詠んでいたように、「懐かしいね」は呪文だ。

 

そして僕もその呪文を自分にかけてしまったのだ。

京都へ戻ったら、青い花をまたじっくり読みかえそう。

一晩考えよう。寝ないで考えよう。

2017/09/04(Mon)

友人の運転する車の助手席に座り、ほうけながらドライブをした。

一通り目的を果たした後は、ふらりのらりくらりと連れてってもらって、
そうしているうちに一人また一人と人が増えて行った。

美味しいご飯を食べて、眠たくなりながら、閉め切った車内で小気味良い風を感じながら帰路についた。

最終残った(自分含め)3人は振り返れば中学2年生頃からだろうか。自然と集っては、いろいろなことをした。忘れたことも多いけど、覚えていることも多い。

とても歪なバランスで、それでももう10年来の友人になるのだろうか。常に変わらない距離感でフラフラできる友人の居心地の良さを改めて実感した。

 

 

帰省をすると、自然と集まって、自然と会う間柄。6人ほどいるのだけど、

年に一度二度会うくらいなのに、会えばかつて共に過ごした時間の延長戦が始まる。

彼ら彼女らに何度救われたかわからない。

彼らに彼女らに出会うことがなかったら、今の僕はいなかったし、今、僕はいないかもしれない。

2017/09/03(Sun)

"はる"のうららかな季節と"なつ"の眩しい季節がいつのまにか過ぎ

いつの間にか秋の香りがただよう季節となってしまった。

 

日記をつける宣言は毎度のごとく三日坊主をこじらせ、いつかの日のことも思い出せない京都での5年目を折り返した。

そして、僕の京都での生活が5年で終わりを迎えることが決まった。

来年からは東京の少し外れで生活が始まる。

いつかは住むんだろうと漠然と捉えていた街、急遽決まった。
(予兆があったのに気づかない振りをしていた?)

 

 

春も夏も秋も冬もいつの間にかものすごいスピードでかけていった。

その間にいろいろなことが起こった。

僕はその中で何を知らず、何を忘れて過ごしたんだろうか。

このブログのことも忘れて、思い出して、忘れて、思い出して。

今後は忘れたくない京都の日々を、忘れないように記していこう(n日ぶり、m回目)

 

ま、今は帰省しているんだけどね。

2017/04/23(Sun)

驚いた。2月から投稿がとまっていたなんて。

それだけ、忙しい毎日を送っていた

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーらいいのにな。

ぱあっと明るくなるようなこともなく、いつも通りがすこし辛い。

でも諦めがなんだかついたような。まだ先の不確定事項をまるでその通りになることを疑わずにへらへらへらへらと。お前はバカか。懲りろよ。

 

うちにテレビがやってきて、ニュース番組やらワイドショーやらでは世間はせわしなく動いている。

それは光る板一枚越しに見てるとまるで、、、なんて陳腐だ。