過去を過去として精算させねば

最近になって、いろいろ過去から現在まで引っ張ってきたいろいろなことを改めて向き合って、見直して、ちゃんと過去に収める機会が多々あって、頭の中でごちゃごちゃと考えてはまとめてを繰り返して、少しずつ少しずつきちんと置いていけるようにしていっております。

 

 

僕が中学生のとき、当時高校生だった兄が友人を家に連れて来てみんなでBBQをする機会があった。兄と友人ら四人のグループに、僕が引っ付いて構ってもらう、という図。「友人の弟」というポジションもあり、とても可愛がってもらったのを凄く覚えている一人の方とは僕が大学に進んだあと、ちょこちょこと連絡を取らせて頂いていたんだけど、あとのお二人とはほぼほぼそれっきりだった。

 

高校1年生のとき、夏の体育祭でお世話になった2つ上の先輩たち、ほんたうに素敵な方たちで、写真を一緒に撮ってもらったりした。

 

そのお兄さんお姉さん方と同時に出会う機会があって、楽しくて嬉しくて、もはや当時の感覚みたいな錯覚をおぼえながら、精神年齢だだ下がりの状態でお話してしまった。

楽しいことは良いことだし、お兄さんお姉さん方は何年経ってもお兄さんお姉さん方なんだけど、僕は14〜16歳だったのが今や23歳になって、お子ちゃまお子ちゃました喜び方はいかがなものだろうか、なんて後から思ったよね。この思考がすでにお子ちゃまなのは気づいてないフリしておこう。

2017/10/19(Thu)2

そういえばピアスをあけた。

1(?)歳くらいのときからずっとあけようあけよう思っていたのに気づけば5年も経ってしまっていた。今更あけることにちょっとの抵抗はあったけど、なんだかんだであけたい欲のが勝ってしまってピアッサーでざくっと。

ちゃんとケアしてたつもりだったけど、少し膿んで痛い。辛い。痛い。
まあでもあと数ヶ月待てばファーストピアスを外せるんだ。頑張れ耳。

退路を断つためにすでにピアスは選んで買った。無駄にはさせんぞ。

2017/10/19(Thu)

気が緩むとすぐに三日坊主になってしまう。

 

お世話になった大学とおさらばして早1ヶ月が経とうとしているのに、なにかと大学に行っちゃうね。名残惜しいね。
ほんとはもう京都に居なきゃいけない理由はないんだなって実感する日々。
平日週5で9-17時でバイトして、たまに用事のある日はシフト減らして、土日はオフで、用事も友達と遊ぶとか、ご飯食べに行くとか買い物に行くとか、趣味に時間割きたいとか、わりと自由に生きてるなと。

よくよく思い返してみれば「住む」ときには今までその土地じゃないとダメな理由があったから、今の自分の状況が少しふわふわしちゃうな。
生まれてから18歳までは、親の住む土地以外の場所で「住む」ことはほぼほぼ不可能だったし、大学生になってつい最近までは大学に通うことが必須だから京都に「住む」ことになった。
今は大学に通わなくてもいいし、バイトはしているけどいつ辞めてもいいし、なんならあと半年北海道でも沖縄でもどこへ住んだって構わない状況なんだな。
現実的な選択肢としては3つあった。東京へ前入りするか、実家に一旦戻るか、京都に残るか。

とりあえずバイトをして引っ越し資金等を貯めるという大義名分の元、京都で半年過ごすことにしたのだけど、ほんとはそれで貯めれるお金も微々たる差で、家賃と契約更新料と天秤にかけておそらくとんとん。実家に戻れば家賃はかからないけど、3ヶ月じゃバイトもなければ、足もない。田舎なんで車がなけりゃ話にならない。東京前入りだって、3ヶ月後にゃ授業でシフト大幅に変わりますなんてやつを雇ってもらえるんだろうか。とかね。結局バイトでお金を貯めて、なんてのは嘘で、とりあえず京都に少しでも長く居たいというのが本音。

友達だって居るし、思い入れのある場所もある。行きつけの居酒屋があって、仲のいい店員さんのいる古着屋がある。川が流れててデルタがあって、東西と北に向かって少しだけ登りの傾斜になっている。はア〜それが僕の中での京都の全てだし、その京都は数年後には幾分か変わってしまう。この数年、先輩や同期が京都を去って、僕の中の京都が変わったように、数年後には先輩も同期も後輩も知ってる人たちが京都を去るにつれて、京都は変わって行ってしまう。
そんな京都も僕の京都になっていく未来があったかもしれないが、今度は僕が京都を去る番になってしまった。あの先輩やあの同期もこんな気持ちだったのだろうか。
あと京都の人となんなしに出会うことができる秋と冬は一回だけ。もう春と夏は望めない。この時間を見逃したくないし、余すことなく楽しみたい。
だいぶおセンチだ。最近は。

みなさま遊んでください。京都のつはるの余命はあと半年です。

2017/10/12(Wed)

やらないといけないタスクからやっと解放されて、ようやくゆっくりした生活を取り戻せそうな気がして嬉しい。嬉しい。

 

さて、ついに部屋の大掃除に取りかかれる。
部屋が綺麗になったら、自炊生活を再開して、ゆるりとダイエットし直そう。
そして7:30に起きて0:00前後に寝る生活を続けて、寝る前に本読んだり、映画を見る時間を作るんだ....!!

とりあえずこれから速達出して、夜行バス取って、コンタクト買って、他の諸々の買い物も済ませよう。

自己破壊欲求と変わり身の死体

自己破壊欲求と変わり身の死体について、

 

自己破壊欲求がある人はたぶん想像しているよりも多くて自覚してないけど、根底を探ればそれは自己破壊欲求だったのかもしれない、なんてことはザラなのかな、と思った話。

 

例えば悲劇、描かれる人物の悲壮と自分の生い立ちを時には比較して、時には重ねて、「感動」だったり「考えさせられる」だったりする感想に持っていくことが多いと思うけど、たぶんある一定数、救われない人生に自分をifとして重ねて物語が進む中で報われない人物-自分を俯瞰して自己破壊欲求を満たしていくって人はいると思う。

音楽なんかでもそうで、鬱屈な歌詞とか屈折した歌詞とか、報われない詩、救いのない詩の曲はたくさんあって、歌の中で人が傷ついて死んでいく。そのストーリーの中にいつかの自分の姿を投影して、分岐点を想像して、想像の世界の中で自分を曲になぞらえて殺すのだ。そうして自己破壊欲求を満たして生への執着がマウントを取れるように計ってるのだろう。

 

と昔聞いてた音楽を聞いてふと思った。

 

先日の補足

この間書いた「してあげる」が嫌いについての補足。

なぜ僕がそういう考えに至ったかの話。

 

小学生の頃は僕の努力じゃどうしようも変わるものではないところが同級生のからかいの絶好の的となり、少し苦しい時期もあったけど、少年野球をしていたと言うこともあり、それなりに活発な至って普通の少年だった。

中学生になると、その「からかい」も無くなり、むしろ好意的に見られることが増えた。学内では勉強も上位、運動もそつなくこなし、それなりに異性から好意を向けられることもあった。いわばスクールカーストのような構図でも上の方のグループに居たし、先生からもそれなりに信頼されていて、向かうところ敵無しとでも言うのだろうか。「俺にできないことはないのかもしれない」くらいの、まあ完全に世の中ナメくさってる調子に乗った中学生の坊やだった。

それも高校に入って中学よりも少しだけ開けた社会になるとだんだんうまくいかないことの方が増えていった。まあそれまでが少々できすぎていたのだけど。
勉強にだんだんついていけなくなり、中学で部活をやめた体は少しずつ言うことを聞かなくなった。当時付き合っていた女の子から振られたり、クラスメイトのノリについていけなくなって浮いたりと一気にしわ寄せがきた。勝手に自分に期待していた僕はあっさりとその期待を裏切られ、平凡な人間だということをまざまざと突きつけられた。

自業自得というか、身の丈に合わない贅沢をしていたというか、自分の思い描いていた自画像が理想像よりに寄りすぎていて、そのギャップを受け入れられず、また周りの人たちの目も怖くなった。中学生の時にときんときんに研ぎ澄まされた見栄まみれのプライドは簡単にへし折られ、塞ぎがちになった。自分にとっての「期待はずれの自分」を他人にとっての「期待はずれのあいつ」と信じてやまなかったし、メンタルをやられて体調を崩して休みがちになった自分は完全に『「普通」のレールからはずれちゃった人』でしかなかった。

幸い周囲の環境、人間関係は悪い面ばかりじゃなくて、むしろ恵まれていた。でも当時の自分は「期待はずれな自分」に良くしてくれる人の心情を全然想像できなくて、なんのメリットを見出してこうも優しくしてくれるのか、同情か、「かわいそうな人」として接されているのか、こっちは返せるものは何もないのに、とか思っていた。
それが積もり積もった結果、いつも事あるごとに顔を出してくれていたある一人の友人にその内容をそのまま八つ当たりしたことがあった。するとケロッとした顔で「私がそうしたかっただけ」だとむしろ不思議そうな顔をして言った。まったく予想だにしなかった返答に半ばたじろぎ、でもその言葉でつっかえが取れたような気がした。

人間関係を完全な損得勘定でしか考えられなかった自分は今の自分の状態では接する人皆に気を使わせてしまう、足を引っ張ってしまう絶対的に損を振りまく人間と本気で思って居たし、だからこそ嫌な顔をせず(当時は見せずだと思っていた)接してくれていた人へはそれに見合うお返しができないことがまた自分を苦しめるものになってたのだけど、その考えが揺らいだ瞬間だった。

僕が散々「してもらった」ことは彼女が「ただしたいと思った」ことでしかなかった。
僕が「これだけのことをしてくれた」と言うと、彼女は「ただそこにいただけだよ」と言う。
今でもその言葉を思い出しては自分を律することができるし、支えになっている。

「あの時これこれしてくれたお陰でこれだけ救われた。救ってくれてありがとう」と僕は本気で思っているけど、それを伝えてもきっと彼女は「ただそこにいただけだよ」と答えるのだろう。彼女に限らず、僕の親しい友人達はそういう考えの人が多いような気がする。僕がどれだけその後救われたかを全然理解しようとしてくれない。平気な顔して「君が勝手に救われただけだよ。僕は何もしてない」とか言うんだきっと。しかも謙遜とか照れとか、全くそういうのを微塵もこれっぽっちも感じさせないんだ。本気でそう思っているっていうのを疑う余地がないくらいでそう言ってのけるんだよね。本当に感謝しかないし、本当にその生き方考え方が好きだと感じた。

 

 

という経緯があるったのサ。とりあえずあらましを。多分続く。